本来の自分を取り戻せ
Vol. 114 5/14/04

ゴウ先生にとって、いまや朝食前の散歩は日課の一つになってしまった。時間にして50分前後。小金井公園を一周するのが決まりである。雨が降ったら、傘をさして歩く。気分が乗ったら、軽くジョギングもする。悪くない。

それに比べて最近億劫になっているのが、軍事都市東京探訪プロジェクトである。ある程度めぼしいところを回ってしまったこともあるが、それ以上に閉口させられているのが、空気の悪さと余計な情報なのである。

空気の悪さは言うまでもなかろう。都心の排気ガスの量は、青山墓地などの一部を除き、朝の小金井公園とは比べようもない。さらに悪いのが、まだゾロゾロいる歩き煙草の連中の副流煙である。近くにスモーカーがいなくても、風に乗ってあの悪臭が届いてくるのには始末に終えない。かつての自分の醜い姿を見せられているようで情けない。そして最近のように暑く湿度も高まると、ますます呼吸するのが嫌になる。とはいえ、呼吸をやめれば死が待っているわけだから、ハンカチを口と鼻に当てて呼吸する。しかし、こんな体勢では散歩などできはしない。

それに、都心は情報過多である。小金井公園ならば、新緑の風景を眺めながら、頭を空っぽにして様々な考えごとに耽ることができる。そうして歩けば、50分はあっという間だ。減量とストレス解消。一挙両得の運びである。ところが、都心の風景と騒音は刺激が強すぎて、考えごとをするには向かない。神経を張り詰めていなければ、どんな事故に巻き込まれるか分からない。ストレスだらけである。大げさではない。3時間から4時間も歩いて疲れた下半身では、ちょっとしたものにも躓きやすく反応が鈍くなってしまうものだ。

もちろん、静かでまあまあ空気のきれいなところだけを探すというのも手であろうが、それでは軍事都市東京探訪というプロジェクトの目的がどこかに吹き飛んでいってしまう。そんなこんなで、折りからの歩きすぎと痛風の軽い発作からふくらはぎと足が痛んでいることを理由に、先週今週と街歩きを中断してしまった。

いい機会だから、がむしゃらに走ってきた、2月末に痛風の診断を受けて以来のあれこれを振り返ることにした。そうすると、あまりの変化の大きさに我ながら驚いてしまった。これはまさしく「人間革命」(?!)以外のなにものでもない。上に書いたこと以外に、思いつくまま書き出してみよう。

(1)      酒を飲まなくなった。(気づけば、この1ヶ月半一滴も酒を飲んでいない!)

(2)      ラーメン・焼肉・もつ焼などの大好物ときっぱり縁を切った。

(3)      家から田無駅までのバスにほとんど乗らなくなったように、歩ける距離はまず歩くようにした。

(4)      体重が11kg減って、99kgになった。

(5)      尿酸値が最高10.8から8.2まで下がり、すべての血液検査の結果は大幅な改善を示した。

我ながら、よくがんばってきたと思う。痛風を含めた生活習慣病に関して言えば、食生活の見直しと有酸素運動の導入だけでこれだけの成果を挙げてきたので、投薬治療なしの状態が続いている。

実際、今週も4週間ぶりに東京女子医大に診察に行ったのだが、診察時間は3分で終了。成果が順調に出ていることを誉められてこれまで通りにがんばってくださいと言われただけだった。まあ、(1)から(3)ができれば、(4)と(5)は当然の結果でもある。

そして誇りに思うのは、自分らしさを否定せずにこうした悪習を改め、新しい習慣を身につけたことである。

確かに、(1)はすぐにでも破りたい誘惑に駆られる。しかし、酒をやめた代わりに得られた報酬が大きすぎて、もはや酒を飲みたいという気が失せてきたのも事実なのだ。

例えば、このNewsletterでも以前何度か書いた痔や下痢の苦しみから完全に開放されたことは大きい。急に催した腹痛のせいで何度下着を捨てたことか。当事者でなければ分からない惨めさと辛さだ。さらには、不眠症でもなくなった。酒をやめたら、ぐっすりとノンレム睡眠を楽しめるようになったのだ。そしていびきもほとんどしなくなり、睡眠時無呼吸症でもなくなったようでもあるらしい。そのうえ、アルコール性脂肪肝のために慢性的に右脇腹に重苦しい感覚を抱え込んでいたのだが、それからも開放された。

こうした弊害を抱えて、酒を飲み続けるのが、自分らしさだとは、いまや到底思えないのもご理解いただけるであろう。

こんなことを書くと、ビール中瓶1本くらいならいいんじゃないですか、とまたぞろのたまうアホが出る。ビール中瓶1本くらいでやめられるなら、こんな病気になってはいないのだ、ゴウ先生は。

煙草や酒は麻薬と一緒だとつくづく思う。やるかやめるかだ。やるなら覚悟してやればよい。それこそ自己責任の範囲で、だ。ゴウ先生はいまのところ、やる覚悟がない。それだけだ。

その意味で煙草は悪いが、酒はよいという迷信をゴウ先生は信じない。どちらも悪いのだ。よいのは、毒も薬となるというコンテクストにおいてのみだから、いまのゴウ先生にはいささかも関係ない。飲みたい人は毒を飲めばよいだけである。

ゆえに、酒を飲めないことを同情されても困る。この病気になるまで、一生分の酒を飲ませてもらったのだから、引退してもおかしくない時なのだ。その代償にいろいろとすばらしいことを手に入れたのは、以前にも書いたことだし、上にも書いた。逆に酒をやめられない諸君に同情するだけである。

2)はもっと単純だ。ラーメンや焼肉を食べたくなったら、己が腹回りをつまめばよい。まだまだたっぷりとある皮下脂肪。その下に隠されたそれ以上の内臓脂肪。5週間前のCTスキャン検査の結果現われた真実の姿がいつも目の前に表れてゴウ先生の欲望を断ち切るのだ。それはそれはおぞましい写真であった。もつ焼きやもつ煮込みはもっと直接的だ。ビールと並んでこいつらがあの痛風の痛みの原因だったのかと思えば、食べる気も失せる。

そうして、ゴウ先生は加工食品とも原則的にさよならをした。つまりソーセージやハムの類は単独ではほとんど食べない。もちろん、あれほど好きだったピザとは完全に手が切れた。食べる中身が正確に分かるものだけを口にするように努めている。難しいことだが、そうしないと、カロリー計算や栄養成分が分からなくなり、肝臓を傷める元を作る。

ゆえに、外食はほとんどしない。例外は立ち食い蕎麦屋か回転寿司屋ぐらいだ。つまりどちらも完全禁煙で酒を飲まなくてもおかしくない場所だからだ。とはいえ、まずい蕎麦や寿司は食べたくないから、それなりに食べる店は決まってくる。高田馬場だと早稲田通りに生蕎麦を出す、立ち食いそばチェーン店の小諸そばがあるからそこのもり二枚400円也を食べる。普通の蕎麦屋の800円には匹敵する美味しさである。

回転寿司は大塚の天下寿司以外では食べない。店員が親切で日本人ばかりだから。味もまあまあ。ただし、プリン体や飽和脂肪酸が多いトロ、カツオ、ハマチ、ウニ、イクラ、タコ、イカなどは御法度のうえ、リミットを10貫にしているから、寿司を食べている気はせず、専ら餌を食すると自分では思っている。それでも、ジム帰りの空腹の体には嬉しいかぎりであるが・・・。

ともあれ、ゴウ先生は自分の体を傷つけてまで自分の快楽を貪るタイプではもともとなかったことにやっと気づいた。死んでもいいから、酒を飲みたい、焼肉を食べたいというタイプでなかったということだ。18歳から30歳まで体重を78kg前後にキープできていたのも、煙草の量こそ半端ではなかったが、暴飲暴食の毎日ではなかった証拠なのだろう。

となれば、今回の罹病はゴウ先生にドラマを与えてくれたと同時に本来の自分探しすらもさせてくれたことになる。病気のような辛い体験を経なければ分からないことなのかと言われるかもしれないが、そんなものだとゴウ先生は思う。

ひょっとすると、ゴウ先生は酒も煙草も焼肉もそれほど好きではなかったのかもしれない。それを好きだと思い込んでいたのは、そんなものも知らなければ恥ずかしいという社会的見栄から生まれた錯覚であった可能性も否めないということだ。

だとすれば、かつての自分が仮面をかぶった自己であり、いまの自分が素顔の自己だと言ってもよいことになる。

事はそう簡単ではないから、これ以上ここでこうした議論をしたくはないが、それくらい「これが本来の自分だ」と思い込んでいるものがそうではないことがあるということである。

物事がうまく行っている時には本質は見えてこない。人間は好調な時はそれを自分の実力だと思い、不調な時はそれを運の悪さに押し付けるタイプの動物だからだ。

好調な時にその幸運を感謝でき、不調な時に己が未熟さを恥じることを常に行ない得たならば、その人に失敗の二文字はついてこない。しかしそれは神の御業であり、人間のなしうることではない。

だからこそ、失意の時を大切にしたい。徒に騒ぎ立てず、これまでしてきた己が未熟な行いを一つ一つ吟味し、直すべき所は直し、本来の自分を取り戻せる絶好の時なのだ。それでこそ、山の時に谷を思い、谷の時に山を思う成功者になりうるのである。

何度も書いたが、まだ書く。ゴウ先生は北京オリンピック男子砲丸投げ金メダルを獲るという目標を忘れていない。このまま体脂肪率が10%前後になるまで脂肪を落としたら、痛風や脂肪肝を治しつつ糖尿病にならないようにして、再び筋肉の鎧を少しずつ身に纏い始める予定だ。

体脂肪率が10%を切るにはまだ15kg以上脂肪を落とさなければならない。したがって、順調に行っても4ヶ月から6ヶ月はかかることになる。しかし焦らない。なぜなら、もう失敗することは許されないからだ。本来の自分をどん底で見つけたのだから、後は間違えずに上ることだけだ。それでこそ大人である。

諸君。ゴウ先生は、己が未熟さを認めるのにやぶさかではない男だ。諸君も壁にぶつかったと思うなら、いつでも謙虚にならねばらない。そして本来の自分の姿を探するのだ。その時すでに目の前から壁がなくなりつつあるはずだ。そんな諸君の力になりたくて、INDECは存在する。信じてついてくるがよい。よろしいか!

次へ