感謝からこそドラマは生まれる
Vol. 109 4/9/04

今週も東京女子医大通いである。そしてあらんことか痛風のみならず、高脂血症に脂肪肝、そのうえ糖尿病境界型(つまり糖尿病一歩手前)と診断され、腹部のCTスキャンまで撮影される始末であった。

さすがのゴウ先生もその場ではへこむしかなかった。己が愚かな半生を反省したわけである(?)。

とはいえ、そこはゴウ先生、たちまち回復する。困ったことは起こらない!ツキは感謝・感激・感動から!

冗談抜きで、病気はありがたい。日常生活に突如舞い込む病気という名の試練は、個人の人生をドラマチックに演出してくれるからだ。

戦争というものが目の前にあった時代においては、国家のために生きて死ぬという劇的人生を選び取ることもできた。しかし、現代の平和な日本に暮らす我々にはその選択肢はない。せいぜいイラクあたりで拘留されて人質になるのがオチである。

戦争に行くのも人質になるのも確かに嫌なことではあるが、他人に向って誇ることが何もない人生というのもマッピラだとは思わないか。

いやあ、私は4年前のオリンピックで金メダルを獲りましたから、それを誇らせてもらいます、というブスな女子柔道家もいるかもしれない。だが、4年も前のことを偉そうに話すというのは、それだけでババアだとゴウ先生は断じたい。昔話に話を咲かせるようになったら、人生オシマイである。

そんなゴウ先生には同時進行的にドラマが生じるのが好ましい。ゆえに、いまこうして痛風や糖尿病と戦い、それをこうして諸君に語ることができるゴウ先生はまさしく己が理想を生きているのである。こんなありがたいことはない。天の配剤に感謝である。

事実、生活習慣病にどっぷりと冒されていることを知ってから始まった禁欲の生活には華がある。

どうなるかと思った断酒もすでにフラッシュバックもなく、快適至極である。妻が作ってくれる減量のための野菜中心の食事もおいしい。

そして何よりも散歩の楽しさを再認識した。今週の水曜には田無から武蔵境まで3時間ほどブラブラ歩いた。その過程でうまいコーヒーを飲ませてくれる喫茶店を見つけることができた。そこで買い込んだ豆をいまは自宅で楽しんでいる。

昨日はまたもや早稲田古書店巡りである。たっぷり2時間歩く。その結果、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の単行本全7巻をナント1500円(!)で買うことができた。文庫本で10巻だから、全部新品で買い揃えるならば6000円以上する。ウッシッシと笑いたくなるではないか。

それに、ずっと探していた、健さんを特集した『キネマ旬報』19782月上旬号も手に入れられた。そのうえ、途中で入ったレンタル・ビデオ屋では健さんの出演映画のビデオを新たに6本見つけた。

それもこれも、痛風になって、糖尿病境界型だと言われ、歩き始めたからである。このドラマチックな変化を喜ばないほどゴウ先生は感性が鈍ってはいない。

かくなる上は、夏までに腹筋がしっかり6つに割れたゴウ先生になってやるかとさえ思う。確かに体重を減らし筋肉を失うのは、砲丸投げにはマイナスである。しかし早く尿酸値や血糖値を正常レベルに戻して筋力を回復しなければ、北京オリンピックに間に合わなくなるのも事実だ。ここまで来たら、だれも過去にできなかった人生をもっとドラマチックに生きてやれと思うのである。

こういうことを書くと、必ず寄せられる質問が、「どうすればゴウ先生のように前向きに生きられるのですか」というものだ。

そのたびにゴウ先生は同じことを答えているのだが、諸君の記憶力が悪すぎて同じことを聞いてくる。答えはこれだけだ。

『すいません』と謝るのではなく、『ありがとうございます』と感謝せよ。

口癖とは恐ろしいもので、礼儀正しいと見なされうる日本人の大部分が「ありがとう」と言うべき局面で平気に「すいません」と言うのである。凡庸なるがゆえに、謝ればすべて丸く治まると思うのである。

しかし、謝ってばかりのマイナス志向の生活からはツキは生まれない。ドラマチックな生き方もできはしないのだ。

ゴウ先生を見よ。

「生活習慣病になるほど、酒を飲んですいません」と謝るつもりは毛頭ない。苦しんでいるのは、自分自身だ。自業自得の地獄にいるのだから、これ以上謝る義理はない。

それよりむしろ、「生活習慣病になって、断酒ができてありがとうございます」と天に対して感謝したい。美味しい酒を飲みたいと思う気持ちももちろんあるけれど、断酒によってもたらされた生活の方がいまは新鮮で楽しいのである。

確かに周りに迷惑もかけている。特に妻には面倒なことが増えたのも事実だ。であるからこそ、「面倒なことを頼んで、すいません」ではなく、「面倒なことをやってくれて、ありがとう」と言いたいではないか。

仕事ができる人間は、明らかに「すいません」よりも「ありがとう」という言葉を使える人間なのである。

そう思うと、このNewsletterを送っても、「ありがとうございます」の一言がメールで書けない輩がまだまだいる事実に思い当たり、その輩が決して自分が望んだ結果を――職場においてであれ、試験においてであれ――得ていないことをゴウ先生は思い出すのである。

確かに、ゴウ先生はお客様会員の存在を無視はしない。しかし「ありがとうございます」の一言が言えない会員に――弟子会員であれ、お客様会員であれ――明るい未来が開けるとも思わない。

もちろん、「ありがとうございます」と言うためには、記憶力が必要である。Newsletterを送られたら、感想を添えて礼を述べるということが好ましいINDEC会員の姿であるということを覚えておかなければならないからだ。そしてその記憶力がない会員が、外国語学習という記憶力がなければ成果を挙げられようはずもないものに成果を残すことができないではないか。

よろしいか、諸君。「ありがとうございます」の一言が諸君の未来を開くのである。「ありがとうございます」の一言が過去の自分と未来の自分を結び付けるのである。

だまされたと思って、行動せよ。「すいません」と謝るな!「ありがとうございます」と感謝せよ。すべてがそこから始まる。ドラマチックに生きてみよ。

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