捨ててこそ
(Vol. 144 12/10/04)

   2004年を「選別の年」と名付けた張本人であるゴウ先生、その命名の正しさを身をもって証明した1年であったと総括する。

捨てたのか、捨てられたのか、定かではないが、色々なものとサヨナラした。喫煙・体脂肪・尿酸、そして多くの会員とお金・・・。

喫煙習慣や体脂肪・尿酸のように喜んで捨てきれたものには問題ないが、お金や会員のような大切なものには到底「捨てた」などとは言えない。「捨てられた」という表現の方が真実を表現している。

となれば、人間、受動的な生き方(「捨てられる」)よりも能動的な生き方(「捨てる」)方を好むという一般理論が成り立つのか。

へそ曲がりのゴウ先生、そうは考えない。

「出会いがあるから、別れがある」と結果的にネガティブな考え方をするから切なくなる。「別れがあるから、出会いがある」とプラスの結論を前提に生きていると、別れの必然性を問題なく受け入れられるのである。

つまり、捨てられようが、捨てようが、別れの後に続く新たな出会い・再会を期待できるという信念があるゆえに、別れの形態にあまり拘泥しなくなるのだ。どのみち、「サヨナラだけが人生だ」とも思う訳だし・・・。

ただし、別れの辛さだけはいつまでも覚えておきたい。そう思えるのは、別れの対象をこよなく愛していたという確信があるからである。愛するものとの別れを惜しまないほど、ゴウ先生は金正日的ニンピニンではないのである。

ゆえに、捨てることからすべてを始めることだけを今年の課題とし、その狙いはほぼ達成できた。INDECのさらなる繁栄を達成できず、廃業すれすれを空中飛行している現状には大いに不満であるし、大いに反省している。しかし、それも新たなるステップを踏むための通過点だと考えれば、甘受すべき試練であると承知しているのだ。

というわけで、ゴウ先生、選別の年から疾風の年へのこの移行期に、捨て続けるもののことだけを考えている。捨て去ることで、悲しむことよりも、喜ぶことのほうが多いと確信するからである。タバコや体脂肪や尿酸などと再会するのは、当分御免蒙りたいのである。

それに対して出会いたいのは、お金であり、新入会員である。しかしそうしたものとの出会いの素晴らしさは、そうそう簡単に出会えないことにある。つまり、楽しいものは楽ではないし、楽ではないから楽しいのである!

もちろん、珍宝教教祖である以上、ゴウ先生、楽しいことならなんでもやる。したがって、来年もゴウ先生は楽しさを求めて楽ではない道をひた走りたいと宣言する次第である。

しからば、楽ではない楽しい道とは何であるか。言うまでもなく、どんどん余分なものとサヨナラし続けることである。続けきることが成功だと定義するゴウ先生、捨て去り道を全うすれば、必ずや楽しいことが待っていると信じるのである。

「しかし、先生、ご自身の無駄な部分を捨て去るのが楽ではない楽しいことだとおっしゃっていますが、もうすでに今年相当なものとサヨナラなさってますから、もはやそうしたネタがないのではないですか?」

ホラホラ出てきた、ノータリン会員の独り言!バカタレが!

指摘通り、経営の危機を迎えるくらい、サヨナラし続けた2004年である。もはやゴウ先生自身には捨てなければならないものはそれほどない。ゆえに、疾風の年にゴウ先生が血道を上げるのは、捨て去り道を諸君に徹底することだ。

それほどまでに諸君には諸君の成長を妨げる余分なものを抱えすぎているのである。極端なことを言えば、必要だと思い込んで過剰摂取していたものが諸君の問題の種となっていることがある。それを諸君に伝えなければ、疾風の年を標榜したところで、諸君にもINDECにもよろしいことはありえないのである。

この結論に至る経緯を説明しよう。

ゴウ先生、生活習慣病の発症以来、健康オタクと呼ばれても不思議ではないほど自分の体にまつわる様々なことを研究してきた。その結果、ゴウ先生の根本的な問題として辿り着いたのが、低体温症という宿阿であった。何しろ平熱が35℃あるかないかの悲惨さなのである。とある医師の見立てでは、すでにゴウ先生は死んでいるということになってしまう!

本当に健康な人の平熱は、36.5℃以上あるらしい。それ以下の体温しか持たない低体温症の日本人は年々増加しており、種々の問題がそれを原因に発生してもおかしくないというのが医学界の定説となりつつあるのだ。ちなみにゴウ先生のように35℃あるかないかの平熱だとガン細胞に冒される可能性が飛躍的に高くなるという。ああ、ナムサン!

そこで、ゴウ先生、当然と言えば当然ではあるが、平熱を高めることを生活習慣病の根本治療のカギとした。

そうしてあれこれ本やテレビで勉強した結果分かったことは、ジョギングや半身浴は非常によい習慣であるということだった。実際、平熱はいつの間にやら35.4℃ほどに上昇していたのである。

しかし、まだ理想からはほど遠い。これだけ摂生しているのに体温上昇に効果がないのは、長年の喫煙等により血流が悪くなっているからか。

さらに研究を進めると、何と一つの仮説が成り立つことが分かった。水の飲み過ぎである。

生活習慣病治療の本には洩れなく水を大量に飲みなさいと書いてある。ウエイト・トレーニングの本にもそう書いてある。人間の体の70%以上が水分出来あがっている以上、水分不足が体に害を及ぼすことは間違いないからだ。

だからと言って、水分を摂りすぎれば、それもよくないのであった。特に冷たい水を飲むことによって体温を必要以上に下げてしまうという悪影響があるのだ。これを漢方医学の世界では「水毒」と呼ぶ。

問題は、どこで水の過剰摂取だと判断するかである。過剰摂取を恐れては、脱水症状を招いて生命の危機を引き起こす可能性があるからだ。

そこでゴウ先生、どれだけ水を飲むと水毒が実感できるかを確かめた。半身浴をしながらミネラル・ウォーターをどんどん飲む。すごい汗をかくから、最初は問題なく「甘露、カンロ」と呟きながら水はのどを通過する。

ところが、ある一定量を超えるとムカムカし始める。ムムム、これが水毒というものか。頭によぎる。しかし、苦しかろうが、飲み続ける。

かくして限界を迎えた。湯あたりよりもひどいめまいと動悸がする。実験を即座に中止したことは言うまでもない。どうやらこれをメニエル症候群というらしい。水の過剰摂取がヤバイことを本当に体感したのである。

それ以来、これ以上飲むと水毒になるというのをあらかじめ感じられるようになった。そして水を体からどれだけ出せばよいかも。まさしく、感即動を水分の摂取と排泄にも応用できるようになったのである。

かように、人間の生活に必須な水でさえも、体外に捨て去ることが大切な場合もあるのである。ましていわんや、記憶のあれこれ。悪影響を及ぼす害のある記憶が捨てられずに脳内で化膿していることが頻繁に起きているのである。

そんな余分なものを抱えていては、たとえ疾風を追い風にできたところでスムーズに成功へ向けて加速がつくはずがない。ゆえに、捨てる。これが極意である。

よろしいか、諸君、思い出してくれ。まずもって、くだらないちっぽけなプライドを捨て去ることだ。他人のアドバイスを素直に聞くことを楽しみにしよう。捨てるのは、楽ではないかもしれない。しかしちっぽけなプライドは楽しみもくれない。ならば、捨てることだ。

次に、諸君の成長の限界点(だと諸君が勝手に思い込んでいるもの)を捨ててほしい。成長閾値など人間が勝手に作り出した虚構の産物である。神様からこれ以上は成長するなと言われるまで、成長すればよいのである。自分で作り出した幻影などゴミ箱にポイすることだ。

そして、最後に、悪習も捨て去ろう。感動しすぎる、自信をすぐなくす、悪口を言う、無計画に無謀なことをする、などなど。マイナス思考を引き起こすものは、すべて捨てちまえ

諸君、楽しい未来を夢見るならば、楽な道を選べないのである。しかし、楽に生きなければ、ドラマチックな生き方だと諸君の周囲の凡人たちに思ってもらえるのも事実である。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。選別の年にいらないものは捨てていこう。そんな諸君の背中を押すために、ゴウ先生は今日も明日も明後日もがんばり続ける。よろしいか!

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