感即動
(Vol. 142 11/26/04)

ゴウ先生、この選別の年を乗り切るに当たって、INDECを挙げて「打てば響く」を合言葉にすることを提唱してきた。それに伴い、「気づき度アップ」や「鈍感即死」という檄を鈍い諸君に飛ばしてもきたのである。

そうして選別の年を終え「疾風の年」を迎えようとしているいま、ゴウ先生は新たなる呪文を諸君に贈りたい。

「感即動」である。

「カン・ソク・ドウ」と2字のペアの頭にアクセントを置き、スタッカートに歯切れよくリズムよく声に出してくれ。ほら、どこかウキウキするような気分になりはしないか。「ついてる」の呪文の合間に入れると最高であるのは言うまでもない。

ゴウ先生は、ちなみに、走りながらこの呪文を唱える。3拍子では走れないから、これを「カン・ソク・ドウ・オウ」と4拍子に変える。疲れてきたなと思ったら、言う。不思議と山場を越えられる。

意味はそのままだ。感じたならば、直ちに動け!

問題は、「感じる」ということだ。

かつてゴウ先生はこの「感じる」という認知行為を「直観する」と呼んだ。しかし、いまはもっとシンプルな前者でも、充分にゴウ先生の意図を表わしうると考えるに至った。

すべては『燃えよドラゴン』において、ブルース・リーが弟子にカンフーの極みを理解させるために発する言葉に収斂される。

"Don't think  Feel."

考えるな。感じよ。そう、感じるという行為はある意味思考を超越する包括的認知行為なのである。

たとえば、ゴウ先生が成功するための必須条件であると主張する「構想力」である。この見えないものを見る力も、高度に洗練されてきたならば、理性的推論によるものというよりは、感性的把握と呼んだ方が相応しい場合があるのだ。

もっと具体的に述べよう。諸君が金持ちになりたいと願ったとする。そうなるために、まず○○年に××という会社に入り、○○年にビジネス・スクールに留学し、・・・と考えたその結果、「金持ちになった諸君」を構想できたとすれば、それは理性的推論を重ねたことによる構想力のおかげである。

ところが、そうした理性的推論を日々繰り返し行なっていくと、いちいち段階を踏んで推論を重ねなくてもすべてを包括できるようになっていく。「手段はどうあれ、オレは絶対金持ちになるに決まっている!」と叫ぶ心の動きが生まれたとする。こうした認知行為を感じることで磨かれた構想力とゴウ先生は呼ぶわけだ。

だとすれば、前者の構想力を否定はしないが、それが常に段階的思考のままで終わるようでは、具体的行動へのエネルギーに転換できないのではないかと訝る。実際、諸君を見ていても、間の前提をすべてすっ飛ばして、即行動に移せたならばチャンスがものにできただろうに、とじれったくなることがままある。

ゆえに、感じて欲しいのだ。ヤバイと感じたならば、即逃げればよい。嬉しいと感じたならば、即ありがとうと言えばよい。面白そうだと感じたならば、即挑戦してみればよい。

その結果は、それまでの諸君の準備のあり方次第だ。きちんと準備していれば、逃げられるだろうし、礼を言った相手から喜んでもらえるだろうし、挑戦も成功に終わるであろう。

しかし、感じても、低次元の思考レベルに再び戻さなくてはならないようでは、チャンスは逃げる。それが選別の年ならびに疾風の年共通の宿命である。逃がしてよいのか?

その意味でゴウ先生自身も反省すべき一年であった。

痛風を発病して以来、理詰めの解決法を求めることに終始していた。こうすれば、尿酸値が下がる。ああすれば、中性脂肪値が下がる・・・。そして初期にはそれで充分に効果があった。

しかし、尿酸値は7.3で下げ止まった。それでも2ヶ月ただひたすら論理的解決法を試みた。そして効果はなく、むしろ尿酸値は7.9まで上がってしまった。

そこでゴウ先生が取った対策は、尿酸値を下げるということを忘れることだった。むしろ高尿酸値血症と仲良く生活する道を選ぶことだった。

尿酸値が7台であるということは、痛風の症状はまず出ないということである。実際、5月以来、痛み止めの薬すら服用していない。つまり、もう痛風患者ではないのだから、あとは生活習慣病全般をぶり返すことだけに気をつけて、仕事に励み生活を楽しむことが重要だと「感じた」のである。

そうしてジョギングやウエイト・トレーニングを楽しんでいたならば、暫定検査結果とはいえ、7.2というこれまでで最低の数値が3ヶ月ぶりに出たのである。感即動がよい結果を生んだのだ。

そしていまもそのスタンスを変えていない。来月の今年最後の検診では絶対に最高の結果が出ると「感じている」。

さらにゴウ先生を反省させたのは、INDECでの企画を次から次へと打てなかったことである。今年のゴールデン・ウイークに語彙力アップ・セミナーを開催して好評に終わったのを最後に、新しい企画を諸君に提供しないでいた。

INDECの強みは、ゴウ先生の企画力と行動力である。それを面白がって、多くの会員諸君がINDECを愛してくれて、新入会員の紹介に労を惜しまないでいてくれたのだ。ゆえに、INDECのイベントに積極的に参加してくれる弟子会員のおかげで、INDECはこれまで盛ってきたのである。その企画力を封印していたならば、いまの財政的どん底状態は起こって当然のことなのだ。

これではいかんと云うわけで、だれも今年ビジネススクールに出願しないのに、トップMBAツアーに有志で参加しようと、ゴウ先生、呼びかけてみた。そうすると、INDEC史上最高の会員諸君がコンベンションに来てくれた。ゴウ先生の企画力も捨てたものではなかったのだ。

だが、反省はあった。INDECのイベントはゴウ先生が仕切らねばならないのに、それをしなかったということだ。

かつてホテル・ニューオータニでMBAフォーラムという名の元に行われていた頃は、上智大学出身のゴウ先生は、四ッ谷や麹町には詳しかったから、打ち上げの場所も率先して決め、連れて行った会員諸君も心の底からその店とゴウ先生との宴席を楽しんでいた。

ところが、今回は土地勘のない目白なのに、ゴウ先生は準備をしていなかった。その結果、最悪のサービスをする店で最悪の食事をしなければならなくなってしまった。INDECにおいては、あってならないことなのに・・・。

言い訳するつもりはない。ただ、あの程度の店で食事をするならば、腹を空かせていた方がマシだと考えるのが諸君の師匠であるとあの時同席した諸君に肝に銘じておいて欲しいだけだ。(そのことは、すでに話していることではあるが・・・。)

それもこれも準備なしであったからである。ゴウ先生がきちんとイニシアチブを取らなかったからである。諸君にINDECの伝統を伝える手間を惜しんだからである。

そこで、この反省を踏まえて、ゴウ先生は次の企画を考えた。それがロードレース参加型の修学旅行である。

ヒットの確信はあまりなかった。何人かが申込みしてくれればいいとだけ思っていた。しかし反響は大きかった。予想以上の諸君からの申込みが相次いだ。

じっくりあれこれ考えて決めた企画ではない。これを実行すれば絶対に楽しい!と感じただけである。しかもロードレースへの参加締め切りが近づいていたから、躊躇するゆとりもなかった。感即動にならざるを得なかったのだ。

そして今回ゴウ先生がすべてのイニシアチブを取る。準備も万端だ。おそらく来てくれる諸君は、最高に楽しい一時を過ごしてくれると確信している。

なぜ?そう感じているからだ!

もはやINDECには一刻の猶予もない。貢献してもらえる弟子会員の諸君に最大のサービスを提供し、新入会員の獲得に動かなければならない。

楽しいと思ってもらえるINDECにならねばならない。可愛い気のあるINDECにならねばならない。ゆえに、感即動、だ。

ゴウ先生、本気である。諸君が喜ぶことなら、諸君がINDECに貢献してくれる限り、すぐに行なう。その意味で、すべてをゴウ先生に任せてくれた可愛い気のある諸君は、疾風を追い風にできるのである。

今年から来年にかけて、疾風を追い風にするために、乗り切る呪文はただ一つ、感即動。これがゴウ先生の覚悟だ。よろしいか、諸君!


捨ててこそ
(Vol. 144 12/10/04)

   2004年を「選別の年」と名付けた張本人であるゴウ先生、その命名の正しさを身をもって証明した1年であったと総括する。

捨てたのか、捨てられたのか、定かではないが、色々なものとサヨナラした。喫煙・体脂肪・尿酸、そして多くの会員とお金・・・。

喫煙習慣や体脂肪・尿酸のように喜んで捨てきれたものには問題ないが、お金や会員のような大切なものには到底「捨てた」などとは言えない。「捨てられた」という表現の方が真実を表現している。

となれば、人間、受動的な生き方(「捨てられる」)よりも能動的な生き方(「捨てる」)方を好むという一般理論が成り立つのか。

へそ曲がりのゴウ先生、そうは考えない。

「出会いがあるから、別れがある」と結果的にネガティブな考え方をするから切なくなる。「別れがあるから、出会いがある」とプラスの結論を前提に生きていると、別れの必然性を問題なく受け入れられるのである。

つまり、捨てられようが、捨てようが、別れの後に続く新たな出会い・再会を期待できるという信念があるゆえに、別れの形態にあまり拘泥しなくなるのだ。どのみち、「サヨナラだけが人生だ」とも思う訳だし・・・。

ただし、別れの辛さだけはいつまでも覚えておきたい。そう思えるのは、別れの対象をこよなく愛していたという確信があるからである。愛するものとの別れを惜しまないほど、ゴウ先生は金正日的ニンピニンではないのである。

ゆえに、捨てることからすべてを始めることだけを今年の課題とし、その狙いはほぼ達成できた。INDECのさらなる繁栄を達成できず、廃業すれすれを空中飛行している現状には大いに不満であるし、大いに反省している。しかし、それも新たなるステップを踏むための通過点だと考えれば、甘受すべき試練であると承知しているのだ。

というわけで、ゴウ先生、選別の年から疾風の年へのこの移行期に、捨て続けるもののことだけを考えている。捨て去ることで、悲しむことよりも、喜ぶことのほうが多いと確信するからである。タバコや体脂肪や尿酸などと再会するのは、当分御免蒙りたいのである。

それに対して出会いたいのは、お金であり、新入会員である。しかしそうしたものとの出会いの素晴らしさは、そうそう簡単に出会えないことにある。つまり、楽しいものは楽ではないし、楽ではないから楽しいのである!

もちろん、珍宝教教祖である以上、ゴウ先生、楽しいことならなんでもやる。したがって、来年もゴウ先生は楽しさを求めて楽ではない道をひた走りたいと宣言する次第である。

しからば、楽ではない楽しい道とは何であるか。言うまでもなく、どんどん余分なものとサヨナラし続けることである。続けきることが成功だと定義するゴウ先生、捨て去り道を全うすれば、必ずや楽しいことが待っていると信じるのである。

「しかし、先生、ご自身の無駄な部分を捨て去るのが楽ではない楽しいことだとおっしゃっていますが、もうすでに今年相当なものとサヨナラなさってますから、もはやそうしたネタがないのではないですか?」

ホラホラ出てきた、ノータリン会員の独り言!バカタレが!

指摘通り、経営の危機を迎えるくらい、サヨナラし続けた2004年である。もはやゴウ先生自身には捨てなければならないものはそれほどない。ゆえに、疾風の年にゴウ先生が血道を上げるのは、捨て去り道を諸君に徹底することだ。

それほどまでに諸君には諸君の成長を妨げる余分なものを抱えすぎているのである。極端なことを言えば、必要だと思い込んで過剰摂取していたものが諸君の問題の種となっていることがある。それを諸君に伝えなければ、疾風の年を標榜したところで、諸君にもINDECにもよろしいことはありえないのである。

この結論に至る経緯を説明しよう。

ゴウ先生、生活習慣病の発症以来、健康オタクと呼ばれても不思議ではないほど自分の体にまつわる様々なことを研究してきた。その結果、ゴウ先生の根本的な問題として辿り着いたのが、低体温症という宿阿であった。何しろ平熱が35℃あるかないかの悲惨さなのである。とある医師の見立てでは、すでにゴウ先生は死んでいるということになってしまう!

本当に健康な人の平熱は、36.5℃以上あるらしい。それ以下の体温しか持たない低体温症の日本人は年々増加しており、種々の問題がそれを原因に発生してもおかしくないというのが医学界の定説となりつつあるのだ。ちなみにゴウ先生のように35℃あるかないかの平熱だとガン細胞に冒される可能性が飛躍的に高くなるという。ああ、ナムサン!

そこで、ゴウ先生、当然と言えば当然ではあるが、平熱を高めることを生活習慣病の根本治療のカギとした。

そうしてあれこれ本やテレビで勉強した結果分かったことは、ジョギングや半身浴は非常によい習慣であるということだった。実際、平熱はいつの間にやら35.4℃ほどに上昇していたのである。

しかし、まだ理想からはほど遠い。これだけ摂生しているのに体温上昇に効果がないのは、長年の喫煙等により血流が悪くなっているからか。

さらに研究を進めると、何と一つの仮説が成り立つことが分かった。水の飲み過ぎである。

生活習慣病治療の本には洩れなく水を大量に飲みなさいと書いてある。ウエイト・トレーニングの本にもそう書いてある。人間の体の70%以上が水分出来あがっている以上、水分不足が体に害を及ぼすことは間違いないからだ。

だからと言って、水分を摂りすぎれば、それもよくないのであった。特に冷たい水を飲むことによって体温を必要以上に下げてしまうという悪影響があるのだ。これを漢方医学の世界では「水毒」と呼ぶ。

問題は、どこで水の過剰摂取だと判断するかである。過剰摂取を恐れては、脱水症状を招いて生命の危機を引き起こす可能性があるからだ。

そこでゴウ先生、どれだけ水を飲むと水毒が実感できるかを確かめた。半身浴をしながらミネラル・ウォーターをどんどん飲む。すごい汗をかくから、最初は問題なく「甘露、カンロ」と呟きながら水はのどを通過する。

ところが、ある一定量を超えるとムカムカし始める。ムムム、これが水毒というものか。頭によぎる。しかし、苦しかろうが、飲み続ける。

かくして限界を迎えた。湯あたりよりもひどいめまいと動悸がする。実験を即座に中止したことは言うまでもない。どうやらこれをメニエル症候群というらしい。水の過剰摂取がヤバイことを本当に体感したのである。

それ以来、これ以上飲むと水毒になるというのをあらかじめ感じられるようになった。そして水を体からどれだけ出せばよいかも。まさしく、感即動を水分の摂取と排泄にも応用できるようになったのである。

かように、人間の生活に必須な水でさえも、体外に捨て去ることが大切な場合もあるのである。ましていわんや、記憶のあれこれ。悪影響を及ぼす害のある記憶が捨てられずに脳内で化膿していることが頻繁に起きているのである。

そんな余分なものを抱えていては、たとえ疾風を追い風にできたところでスムーズに成功へ向けて加速がつくはずがない。ゆえに、捨てる。これが極意である。

よろしいか、諸君、思い出してくれ。まずもって、くだらないちっぽけなプライドを捨て去ることだ。他人のアドバイスを素直に聞くことを楽しみにしよう。捨てるのは、楽ではないかもしれない。しかしちっぽけなプライドは楽しみもくれない。ならば、捨てることだ。

次に、諸君の成長の限界点(だと諸君が勝手に思い込んでいるもの)を捨ててほしい。成長閾値など人間が勝手に作り出した虚構の産物である。神様からこれ以上は成長するなと言われるまで、成長すればよいのである。自分で作り出した幻影などゴミ箱にポイすることだ。

そして、最後に、悪習も捨て去ろう。感動しすぎる、自信をすぐなくす、悪口を言う、無計画に無謀なことをする、などなど。マイナス思考を引き起こすものは、すべて捨てちまえ

諸君、楽しい未来を夢見るならば、楽な道を選べないのである。しかし、楽に生きなければ、ドラマチックな生き方だと諸君の周囲の凡人たちに思ってもらえるのも事実である。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。選別の年にいらないものは捨てていこう。そんな諸君の背中を押すために、ゴウ先生は今日も明日も明後日もがんばり続ける。よろしいか!

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